オビラプトル類の卵は、巣の中で2個ずつ対になっています。
最近になって、骨盤の子宮と考えられる箇所に卵2個と卵管2本が発見されました。
研究者の間では、2本の卵管から1個ずつ卵を産んだと考えられています。
アンドリュースが初めて発見した恐竜の卵化石。
現在卵の化石は非常に貴重なものとして珍重されるとともに、
恐竜の成長過程を研究する大切な研究対象にもなっています。
オビラプトル類の卵は、巣の中で2個ずつ対になっています。
最近になって、骨盤の子宮と考えられる箇所に卵2個と卵管2本が発見されました。
研究者の間では、2本の卵管から1個ずつ卵を産んだと考えられています。
アンドリュースが初めて発見した恐竜の卵化石。
現在卵の化石は非常に貴重なものとして珍重されるとともに、
恐竜の成長過程を研究する大切な研究対象にもなっています。
ロイ・チャップマン・アンドリュースはインディ・ジョーンズを地でいくような人でした。
彼が未知の古代生物、恐竜を次々と発見します。
アンドリュース率いる探検隊の当初の目的は、もともとは恐竜の発見ではありませんでした。
探検隊の目的は、人類と哺乳類の起源を調べることだったようです。
その過程で、たまたま恐竜の卵や新たな恐竜を発掘したといわれています。
では、なぜゴビ砂漠へ向かっていたのでしょう?
それは当時の進化の説で、人類はアフリカで生まれたという説と、アジアで生まれたという
2つの説があり、アンドリュース率いる探検隊の中の一人がアジア説を有力視したため、
モンゴルへ行こうということになったのです。
ひょうたんからコマとはこのことでしょうか。
人類の歴史を調べに行ったら、恐竜の卵が出てきたというわけです。
オビラプトルによる最初の恐竜の卵を発見した、アメリカ人のロイ・チャップマン・アンドリュースは
博物学者であり、アメリカ自然博物館の館長を務めた人物です。
彼は1922~1930年の期間に5回、モンゴルのゴビ砂漠へ向かい、
たくさんの恐竜の卵を見つけた探検家として有名です。
彼は子供の頃から自然と生き物を愛していました。
大人になってからは探検隊を率いてアラスカや中国へ出かけて化石を集めていたようです。
アンドリュース率いる探検隊が発見したものの中に、モンゴルでのオビラプトルの卵以外に
プロトケラトプス(名前の由来は“最初の角竜”という意味)やヴェロキラプトル(名前の由来
は“すばやいどろぼう”という意味)といった有名な恐竜がいます。
旅の途中ではヘビやクジラ、サメ、オオカミや盗賊など、あらゆる困難に遭遇した探検隊でしたが
なんとか危機一髪、命を落とさず帰還したという逸話があります。
この話、何かに似ていると思われませんか?
そう、あの有名な映画「インディー・ジョーンズ」のストーリーです。
アンドリュースは、インディー・ジョーンズのモデルになった人物と言われています。
・エジプト・カイロの南西約200km、ファイユーム県の砂漠地帯です。
・クジラの谷(ワディ・アル・ヒタン)はガバル・ゴハンナム「地獄の山」の麓に広がっています。
・昔から砂漠にいるはずのない正体不明の動物の骨が散乱していたため
「地獄の山」と呼び人々は恐れました。
・この正体不明の動物は、約4000万年前の海洋生物や原始クジラの化石(バシロサウルス)です。
・約400体以上のクジラの化石がみつかってることから「クジラの谷」と呼ばれています。
・なかでも20mを超える蛇のように長い体に、水かきのついた前肢と退化した後肢がついた
バシロサウルスの化石が発見され、クジラが陸上生物から水棲生物に進化したことが確認されました。
・4000年前頃、この一帯はテチス海の沿岸部で浅い海であったとされています。そのためサメ類や貝
などの海生動物のほか、マングローブ林や植物、爬虫類の化石などもみつかっています。
・2005年世界自然遺産に登録されました。(バシロサウルス=トカゲの王様という名前は
発見された当時、巨大な海生爬虫類の仲間と考えられたためです。)
・イギリス南部、ドーセット州からデヴォン州東部までの153kmの海岸線
・別名「ジュラシック・コースト」と呼ばれています。
・2001年、登録名「ドーセットと東デヴォン海岸」で世界自然遺産に登録されました。
・三畳紀→ジュラ紀→白亜紀(約2億5000年前〜約6500万年前)へと続く中生代の地層が連続している
場所によって、様々な色の地層があらわになっている世界で唯一の場所です。
・古生物学者のメアリー・アニングが12歳の時に全身のイクチオサウルスを発見した場所です。
・地質年代のデヴォン(デボン)紀のデヴォンは、このデヴォンの地名に由来しています。
・特にジュラ紀の地層からはアンモナイトやイクチオサウルスなど多くの化石が見つかります。
・アンモナイトはビーチで簡単にみつけることができ、自由に持ち帰ることができます。
(イクチオサウルスは、中生代ジュラ紀から白亜紀に生息した全長約2mで体形が現代のイルカに似た海生爬虫類です。)
・南オーストラリア州の内陸の砂漠地帯に広がる小都市です。
・クーパーペディー(Goober Pedy)とはオーストラリアの先住民であるアボリジニの言葉で
“KUPA PIT”=“white man in hole”(白人が潜る穴)からきています。
・1987年、一部がオパール化した恐竜の化石がほぼ完全な形で発見されました。
約1億1000年前の地層から発見されたのは白亜紀に生息していたプリオサウルスの化石
で「エリック」と名付けられました。エリックは骨の一部がオパール化していたので希少価値も
驚くほど上がり世界中の金持ち達が手に入れようとやっきになりました。
そのため貴重なオーストラリアの財産が国外に流出してしまうという事態を招いたとされています。
*ですが、オージー達が立ち上がり寄付を集めて買い取りこのピンチを切り抜けのです。
現在はシドニー市内の「ナショナル・オパール・コレクション」で誰でも無料で見ることができます。
・オーストラリアのオパール産地は大鑽井盆地(グレートアーテジアン盆地)周辺に存在します。
クーバーペティーもその1つで1910年代に発見されてから
今では世界のオパールの約80%を産出しています。
・クーバーペティーはジュラ紀から白亜紀(約2億〜6500万年前)の時代は浅い海でした。
それが地球の気候の変化にともない海が後退し砂漠へと姿をかえました。
表面の数十mが堆積した砂岩や頁岩、泥岩で覆われておりその層からオパールが発見されます。
・クーバーペティーのオパールは「ホワイトオパール」と呼ばれ堆積層中に多くのオパール化された
化石があることで有名です。エリックの他にも、白亜紀に生息した烏賊に似たベレムナイトなどがあります。
・クーバーペティーは地上の気温が50℃近くに達することもあり、この町の人々は
「ダクアウト・ハウス」と呼ばれる洞窟のなかで暮らしています。
ダクアウト・ハウスはオパール採石の際に掘った穴で気温も約20℃ほどと過ごしやすく、
家だけでなくレストランや学校、教会といった様々な建物が利用しています。
・デボン紀(約4億年前)のラーゲルシュテッテン
・ラーゲルシュテッテンとは、特に保存状態の良い化石が
発掘される場所(堆積層)のことで地質学分野の専門用語です。
・約4億年前(デボン紀前期)に堆積した「フンスリュック粘板岩」とよばれる地層です。
・この地域の黒い粘板岩はローマ時代から屋根瓦に利用されてきました。
・黒い頁岩の中に黄鉄鉱で置き換えられた保存状態の良いものが多く、
軟体組織までが残っていることで有名です。
・約4億年前のブンデンバッハは浅く静かな海の底でした。時折、砂や泥が海水と一緒に流れ込み
生物が堆積物の中に埋まってしまいました。こうして他の生物に食べられず化石となりました。
この時、適度な量の有機物や酸素が少ないなどの条件で腐敗が進行せず速やかに生物の体が
黄鉄鉱に置き換えられため通常ではまず化石になれない軟体組織までもが化石として残りました。
・こうした好条件で非常に保存状態のよい化石がみつかるのもフンスリュック粘板岩の中でも
ブンデンバッハ周辺の特定の層のみといわれいます。
・三葉虫などの節足動物の脚や触角、ヒトデなどの軟体組織が鮮明に残る
高い品質の化石が発掘されています。
(フンスリュック粘版板=フンスリュックスレート=フンスリュック頁岩)
・1909年カナダのブリティッシュ・コロンビア州のバジェス山でアメリカの古生物学者によって発見されました。
・1984年バージェス頁岩累層を含むカナディアン・ロッキー山脈自然公園は世界自然遺産に登録されました。
・約5億500万年前(古生代カンブリア紀中期)の地層です。
・1989年、古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドが書いた本『ワンダフルライフ・バージェス
頁岩と生物進化の物語』によって一般に広く知られるようになりました。
・1910年~1930年代にかけて無脊椎堂物の化石が多数発見されました。
・発見された当初は節足動物と思われた奇妙な化石の約数十種類が、1970年~1980年代の
再研究によってどの分類体系にも入らないことが判明しました。
・ここで発見された動物群は”バージェス動物群”や”バージェス頁岩動物群”とよばれ
現在も発掘・研究が続いています。
・これまで発見されたことのない動物化石が軟体組織まで鮮明な状態で発掘されることで有名です。
・頁岩(けつがん)とは堆積岩の一種で、海底で泥(16分の1mm以下の細かな粒子)が
水平に積もって固まったもので頁(ページ)のように薄く剥がれる性質の(泥)岩のことです。
・頁岩の粒子が細かい性質によって酸素が通りにくいため、埋まった生物の死体が腐りにくく
通常は化石として残りにくい軟体組織まで綺麗な形で残ったようです。
・代表的化な化石にアノマロカリス、ラグガニア、マルレラなどがあります。
・スイス・ティチーノ州の南部、ルガーノ湖の南にある緑豊かなピラミッド型をした山です。
・標高1096mの小高いこの山は2003年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。
・2010年にはイタリア側の山麓地域も追加登録(イタリア・ロンバルディア州)されました。
・ここは、中生代三畳紀中期(約2億4500万年前~2億3000万年前)に
属する5つの地層から多くの化石が出土しています。
・当時この一帯は亜熱帯気候で、水深数mのラグーンがありました。(ラグーンとはサンゴ礁によって
つくられた地形のひとつです)その海底にあった石炭質の泥に遺骸が閉じ込められたまま地学変動
によって山となったため、とても良い状態の化石が見つかります。
・化石は爬虫類、魚類、脊椎動物、アンモナイト、植物など多種多様で
出土した化石は約150年間で1万点以上といわれています。
・内訳は大体、30種の爬虫類(大半は大型の海生の恐竜)や80種の魚類、1
00種の昆虫などの無脊椎動物に無数のミクロ化石などです。
・サンジョルジョ山の化石として有名なのが「ティキノスクス」と「タニストロフェウス」です。
・ティキノスクスは恐竜の祖先といわれています。
・タニストロフェウスは地球史上最も長い首をもっていたとされる絶滅した爬虫類の一種で全長は
約6mで長い首は10個の椎骨で構成れており、全長の2/3ちかくが首であったとされています。
2012年3月1日、兵庫県立人と自然博物館が丹波竜の歯とみられる化石を2点みつけたと発表しました。
2つの歯は、兵庫県丹波市山南町の約1億1000万年前
(白亜紀前期)の地層「篠山層群」から発掘されました。
それぞれの歯のサイズは1つが長さ1.5㎝で直径2.5㎜、
もう1つが長さ2.5㎝で直径6.4㎜でした。
1つはこれまで日本で見つかった恐竜の歯のなかで最も小さいため子供の恐竜の歯とみられています。
2008年に福井県勝山市の約1億2000万年前(白亜紀前期)の地層から
イグアノドン類の子供とみられる歯骨(下あごの骨)は発見されていますが、
歯が見つかったのは日本では初めてのことです。
1978年に岩手県で最初の恐竜化石が発掘されてから約30年、
日本各地で恐竜化石が発見されています。
今日まで大人の歯化石は発見されていますが、子どもの歯が発見されたことで、
彼らの生態をひもとくヒントになるかもしれません。
いずれにせよ、とても子どもの化石はとても貴重だといえます。