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中生代 恐竜

恐竜の赤ちゃんと群れ

みなさん、恐竜の赤ちゃんはどうやって生まれてくるかご存知でしょうか?
そうです、恐竜は卵から生まれてくるのです。

いくら大きな恐竜に成長するといっても、生まれてくる時の
恐竜赤ちゃんのサイズはそこまで大きくありません。
史上最大とされる、全長35~40mのアルゼンチノサウルスのように、巨大な竜脚類でも
卵の大きさは直径約30cm程度だろうと、ある研究者は予測しています。

そこから一気に成長したとしても、アルゼンチノサウルスの赤ちゃんは、
せいぜい生まれてすぐは1~1.5mくらいの大きさだったかもしれません。
こうなると、お母さんに付いていくのは大変そうです。

全長が35mもある母親と、1.5mほどしかない赤ちゃん。
お母さんが一歩歩くと、子どもはたちまち置いて行かれそうですね。
お母さんに誤って踏み潰されないように、必死だったかもしれません。

じつは、竜脚類の仲間は並んで続く足跡化石が見つかっていることから、
群れで暮らしていた可能性があるのです。
でも、巨大すぎる竜脚類にとって、先ほどの理由から子どもと一緒に
どこまで行動できていたか正確には分かっていません。

一部の足跡化石からは、大人の恐竜が幼い子ども恐竜の
周りに囲むようにしていたようなものも見つかっています。
このことから、竜脚類の中には、組織化して群れをなしていたのではないかと考える研究者もいます。

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中生代 恐竜

史上最大級の竜脚類アルゼンチノサウルス

アルゼンチノサウルスはこれまで生きたどの動物よりも大きな生物として認識されています。
全長は何と35mとも、もっと大きかったとも言われています。
が、この「言われている」というところがミソなのです。

実は、アルゼンチノサウルスの大きさは推定であって、
全身骨格が見つかっているというわけではありません。
これまで化石として見つかっているのは首の骨の脊椎骨、
後ろ足の長い骨の脛骨、骨盤の部分の仙骨など一部なのです。

その骨の大きさから割り出した全長が35m~45m程度というわけです。
もし、新たに化石が発掘されたら、アルゼンチノサウルスの大きさがはっきりわかることでしょう。

それにしても首の骨1つの大きさが130cmもあったというのですから、
大きいことにはケタはずれに大きな生き物だったことは変わりないようです。

ちなみに、「地震トカゲ」の意味から名前がつけられたセイスモサウルス、
そして「特大の竜」の意味から名前がつけられたスーパーサウルスも巨大恐竜として有名です。
いずれも、ジュラ紀の北アメリカに生息していた恐竜なのですが、
巨大恐竜は誰だ!?といった選手権の常連恐竜としてよくとりあげられる有名な恐竜です。

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中生代 恐竜

一番体重の重い恐竜は何キロあった?

みなさんの体重は何キロでしょうか?
いえ、声にだして言わなくてもいいのですよ。
成人の体重は、個人差、体格にもよりますからさまざまでしょうが、
100kg以下に属する人が多いようです。(お相撲さんの平均体重は150kgぐらいだそうです。

そして世界で一番体重が重かった人はアメリカ人男性の635kgだそうです。これはすごい!)
人間で体重が重いといっても、まさか「体重1000kgあります!」という人はいないですよね。
それでは、体重の一番重い恐竜は何キロあったと思いますか?

答えは100トン。
単位がキロではありませんよ。100トンです。
キロに直すと、1トンは1000kgですから、なんと10万kgもあったという計算になります。
あまりに数字が大きすぎてよくわかりませんね。

では仮に体重150kgお相撲さんと比較してみましょう。
お相撲さんが約666人分集まって、やっと1体の恐竜と同じ重さという計算になります。
こんなに体重の重い恐竜が遥か昔には存在したんですね。

100トンの恐竜が歩くと地響きがしそうです。
この恐竜は一体どういう名前なのでしょう?
答えは、アルゼンチノサウルス。

アルゼンチノサウルスは名前のとおり、アルゼンチンで発見された恐竜で、
約1億年前、中生代白亜紀に生きた草食恐竜です。

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その他 人物・植物

化石発掘のエキスパートメアリー・アニングの生涯

プレシオサウルスやイクチオサウルス、また翼竜の全身骨格などを発見したメアリー・アニング。
彼女の生涯はなかなかドラマティックです。

イギリス南部の村に産まれたメアリーは15ヶ月の時に雷に打たれ、九死に一生を得ます。
雷に打たれた4人のうちメアリー1人が生き残るという、何ともすごい体験をしています。

メアリーが生まれた時代はヨーロッパで化石採集の一大ブーム期でもあり、メアリーの父親は
家具職人の傍ら、村の崖で化石を見つけては観光客に化石を売って生計を立てていたようです。
でも、父親はメアリーがわずか11才の時結核で亡くなり、生活が苦しくなってきます。

そこで、メアリーは生きるために兄と化石採集をするのです。
彼女はたった12才のときに、イクチオサウルスの全身骨格を見つけるというすごいことをしたのです。
イクチオサウルスはそれまで発見されていたとはいえ、全身骨格を発掘したのは初めてのことでした。

19世紀当時、すでに化石を発掘して過去の生物のことを調べるという行為が、生物学や地質学の
分野に影響を与えていたため、メアリーの次々起こす偉大な発見に科学界も注目していきます。

裕福な化石収集家からの援助も受けながら、彼女の化石発掘の情熱は高まっていきます。
そして彼女が22才のとき、これも初となるプレシオサウルスの骨格化石を発見するのです。

47才という短い生涯で幕を閉じるメアリーの生涯ですが、亡くなる年にロンドンの地質学会から
名誉会員という称号を与えられるまでになりました。

彼女は「生物には絶滅がある」という事実を導いた、偉大な化石発掘者として
地質学の歴史になくてはならない存在として認識されています。

ちなみに、早口言葉「She sells sea shells by the sea shore.(彼女は海岸で貝殻を売った)
というモデル人物はメアリー・アニングだといわれていることでも有名です。

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化石発掘の動機は意外!?偉大な女性化石発掘家

化石を発掘する人はどんな人が多いのでしょう?
まず、最初に想像しやすいのは考古学者ですね。
考古学者とは、地球上に暮らした生物などの遺物や痕跡を調べて
生物の全貌を解明し研究する人のことを言います。

もちろん古生物を研究することが仕事ですから化石を掘るという
作業をするのに最も近い人たちといえますね。
あとは、博物館関係の人や趣味で化石を掘っている人など。

さて、昔むかし、1820年代メアリー・アニングという女性が化石を発掘していました。
女性で化石発掘に加わるという人は、珍しいほうかもしれません。
彼女は研究者でもありません。
しかしすばらしい発見をした人物として有名です。

プレシオサウルスという首長竜を皆さん知っていますか?
彼女は首長竜として有名なプレシオサウルスを発見した人物なのです。
首長竜は海で生活するはちゅう類です。
中生代の三畳紀に現れて、陸の恐竜と同じ時代に海の中で繁栄しました。

プレシオサウルスはジュラ紀の海に栄えた約2~5mの大きさを誇る首長竜です。
エラスモサウルスに比較的近い種類の仲間です。
彼女は研究者でもないのに、なぜこのような発見をしたのか?
その答えは意外です。

彼女の家は困窮しており、家計を助けるために化石を発掘しては売っていたのです。

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恐竜のヒフはなぜ見つかりにくい?

恐竜の骨を発見しました!歯を発見しました!というニュースはよく耳にしますが、
皮膚を発見したという記事は見つかりにくいですね。
実際、皮膚化石がないわけではありませんが、とても少なく稀少です。

さて、恐竜の皮膚はどうして見つかりにくいのでしょうか?
それはズバリ、骨や歯に比べて皮膚を作っている組織はとても腐りやすいからです。
腐りやすいということは、化石として現代まで残っている皮膚は多くはなく、ゆえに非常に貴重なものです。

皮膚の化石は、粘土に型をおしつけたときに残るあとのようにして出来ます。
死んだ恐竜が土に埋まっていくとき、皮膚がなくなるまで時間がかかるような
周りの条件がある場合、土にしっかりと皮膚のあとが残るのです。

では、もともとの皮膚はどうなっているかというと、残っていてもぺらぺらの膜のようになっています。
見つかっている皮膚化石は、表面に小さなデコボコがあったため、
体はうろこのようなものでおおわれていたと考えられています。
たとえばアメリカで初めて学名がついた白亜紀後期の恐竜、ハドロサウルスは
皮膚の表面に細かいウロコがあった恐竜で皮膚化石が残っています。

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学名ってなに?

学名とは生物に付けられた世界共通の名前のことです。
日本語独自につけられている名前は和名といいますが、これは世界共通というわけではありません。

学名は、全世界で通用します。
そのためにルールがいくつかあります。
まず、ラテン語表記で書くこと。
そして大きなグループ「属」のあとに固有のグループ「種小名」で名前をつけるというような決まりがあります。

1つの種に対して有効な学名は1つだけです。
それでは同じ種類の生き物が誤って複数回記載されていた場合はどうなるでしょう?
その場合は、最初に付けられた学名にするのが基本のルールです。

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その他 恐竜

ブロントサウルスから学ぶシノニム(異名)

名前が消えたというブロントサルスの話をご存知ですか。1877年のことです。
アメリカのオスニエル・マーシュという沢山の恐竜を見つけた大変有名な古生物学者は、
ある恐竜の化石に「アパトサウルス」という名前をつけました。
そして2年後の1879年には別の化石に日本語で「雷竜」という意味の
「ブロントサルス」という名前をつけました。

しかし後にこの2つの恐竜は同一のもので、大人と子どもの化石だったことが分かったのです。
こういう場合は、はじめに発表したほうの「アパトサウルス」の名前が有効になるので、
悲しいかな、ブロントサウルスの名前は学名として消えてしまったのです。
でも日本ではブロントサウルスを訳した「雷竜」の名前が結構浸透してしまい、
アパトサウルスの名前が普及している現在でも「雷竜」の名前が用いられることも多いようです。

こういう風に同じ種が異なる名を持つことはシノニム(異名・同物異名)といいます。
一方、別の種が同じ名を持つことはホモニム(同名・異物同名)と呼ばれます。

ちなみに、アパトサウルスのシノニムはブロントサウルス以外にもう一つあります。
その名もエロサウルス(Elosaur)!
こちらは1902年に発表されましたが、やはりアパトサウルスと同一種でした。

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最初に学名がついた恐竜は?

恐竜で最初に学名がついたのは、イギリスで発見されたメガロサウルスです。
いつ付けられたのかというと、1824年です。
でも実はこのメガロサウルス、学名がつくまではいろいろな変遷をたどっています。

学名がつく147年前の1677年には、実はこの恐竜の骨は見つかっています。
発見された当時、人々はこの骨を巨人の骨だろう、とか、象の骨だろうと予測していました。
その後、141年経って、フランスの解剖学者キュビエとキリスト教牧師で大学教授でもある
バックランドの2人によって、この骨はとてつもなく大きなはちゅう類のものであることを発表しました。

それから6年後、1824年にバックランドはこの骨にメガロサウルスという名前を付けることができたのです。
何でもはじめの作業は大変といいますが、恐竜の名前がつくまでには、
実に世紀を超えて人々が関わっているのですね!

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人物・植物 恐竜

恐竜は何を元に分類された?

「ダイノサウリア=恐竜」という言葉を初めて作ったリチャード・オーウェン。
彼は、何の特徴を元に恐竜というグループを作ったのでしょう?

彼は恐竜の大きさではなく、意外にも腰の骨に着目しました。
腰の骨がくっついていて頑丈なことが恐竜のグループに属する条件となったようです。
彼は、それまでに発見されていたメガロサウルスやイグアノドン、
そしてヒラエオサウルスの骨を参考にグループ分けをしたようです。